特に書きたいこともないのに何かを書きたくなった。 よしなしごとなのでここに書かれていることを真に受けてはならない。

このサイトの更新はスマホからでも手軽にできる。 しかもプルリクエストの作成、masterブランチへのコミットの追加、マージコミットの追加で一度に3 contributionがカウントされる。 最近contribution calendarの色が濃いのはこのためである。 あまり1日にcontributionを積みすぎるとそれに合わせて色が薄まってしまうという話を聞いたので、気をつけないといけない。 前にも別の場所でブログを開設したことがあるのだが、最初の数日で細切れにたくさんの記事を投稿して、それからほとんど更新がないといった状態で終わった。 Contribution calendarは1日の更新量の抑制と、継続した更新の動機付けを一度に行える。 とてもいいものだ。

さて書きたいことはこれだけなのだが、あまりに短いのでいくつかの短文をまとめ、タイトルを「よしなしごと」とした。 今後も短い文章をまとめた記事をこのタイトルで投稿しようかなと思っているので判別用に日付を入れた。

「よしなしごと」とはもちろん徒然草のアレである。 自分は一度徒然草を現代語訳メインで読んだことがあるのだが、とてつもなくつまらなかった。 雪が降ったあたりが唯一見所だったが、結局かなりの部分を飛ばした。 おそらくこういう文章の先駆者としての歴史的価値とことばの美しさで有名になっているんだろうが、そこから何百年と改善され続けたコンテンツを消費しまくっている現代っ子が楽しめるものではないと思う。 ここも同じようにくだらないことばかり書いている。 「よしなしごと」というタイトルにはそういう後ろ向きな意味がある。

短文を投稿するならTwitterがあるが、ここまでの文章をTwitterに書くと結構な量だ。 やはりここぐらいしか書くところはない気がする。 書かなければいいのだが、こんな駄文でもアウトプットをしていれば何かしらの成長があるのではないかと信じているので書き続ける。

それに、たまに長文を投下したくなる時がある。 しばらく考えているうちに忘れてしまうのだが、どうせ考えているうちは何も手につかないのでその時間で外部に出してしまった方がいくらか有益だ。

もうひとつ、精神的な修行も兼ねているかもしれない。 おそらくこの記事はいくらか後にいわゆる黒歴史になるだろう。 いや、絶対になる。 そのときに記事を消すか消さないかで自分の精神力が測れる。

多分これから忘れたい歴史がいっぱいできるだろう。 しかしあらゆるものが記録されようとしている今、自分の過去を人に忘れてもらうことはほぼ不可能に等しい。 ここで自分ができることは2つあると思う。 何も恥ずかしくうしろめたい過去のない完璧で幸福な市民になること、 そして過去のどんなことが広まっても折れない強い心を持つことだ。 自分はその両面からみずからを良い人間にするような行動を心がけている。 行動が完璧に善良ならいずれ心も善良になってゆくだろう。 どうしても出てきてしまうようなぼろも、それを受け止めることができれば怖くないはずだ。 そういうわけで最低限のモラルは常に意識しつつ、無理に黒歴史をなくそうとはしないというスタイルで生きている。