以前何人かの人に「自動運転車に乗りたいか」と聞いた。 自分は断然乗りたい派だったのだが、周囲の人間は高確率で(確率が求められるほど多くの人には聞いていないのだが)乗りたくないと言ったので驚いた。 理由を尋ねたところ、これまた高確率で「信頼できない」というのが答えだった。 まあ自動運転車に乗らない理由で「信頼できない」以外を考えろと言われても難しいので当たり前だとは思うが。 同じように信頼できないといって、他人の車やオートマ車にも乗りたくないという人までいた。 自分の価値観と大きく異なる意見だったので驚いたし、興味深かった。

ここで
「なぜ信頼できないのか?」
を自分が考えても頓珍漢な結論に行きそうなので、逆に
「なぜ信頼できるのか?」
について考え直してみることにした。 考え直してみた結果、自分が自分自身を信頼しておらず、能力を自動運転車よりも低めに見積もっていることに気がついた。

自分は車の運転は無理だな、と思うような出来事を何度も経験している。
たとえば、自分には集中力がない。 人がどんなに大事な話をしていても絶対に1、2分ほどボーッとして抜け落ちている部分がある。 自転車に乗っている時には前方からやってくる歩行者に反応するのにかなりの時間がかかる時がある。 歩いている時でさえ、人にぶつかりそうになる時が多くある。
さらに、記憶力もない。 世界史などは絶望的な点数を取ったものだ。 決めたことを何度言われても忘れる。 信号待ちで、早く黄色にならないかなと横の信号を見つめていたら、横の信号を見ているということを忘れて、あっ、青信号だ!渡ろう!と信号無視をする。
集中力と記憶力、どちらも割と生活に支障がでるレベルである。

そういうわけで自分が車を運転すると確実に事故を起こすだろうと確信している。 一方自動運転車は常に一貫して最高レベルの集中力を保ち続けられるし、交通ルールを忘れることもないだろう。 自分は自分の能力を他人のそれと比べて信頼していない。 逆に言うと、自分よりも他人の能力を信頼する、つまり他人に任せたほうがかえって安心できるということだ。 自分が自動運転車に乗ろうと思うことができるのには、そういう背景がある。 そこから考えると、自動運転車が信頼できないという人は運転能力が高くて、自分が信頼できるのかもしれない。 もしそうなら、自動運転車がもっと優秀になって、事故率が人間よりも十分低いということがはっきりしてきたら、自動運転車が普及するようになるだろう。

しかしもし仮に人間よりも安全だと示されても自動運転車を信頼できないという人もいた。 そういう考えまではまだ完全に理解できていないので、さらに考えなければならない。